Hiroyuki Namba and I (J)

Hiroyuki Namba and I (J)

The 39-th Annual Science Fiction Convention of Japan
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5(Sat.)-6(Sun.) August 2000 AD
at Pacifico Yokohama, Yokohama JAPAN
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Zero-CON

第39回 日本SF大会

西暦2000年8月5日(土)〜6日(日)

於・横浜 パシフィコ横浜


難波弘之さんとわたし
柴野拓美
 先日久しぶりに難波さんのキーボードを聴く機会があった。
今年の日本SF大会のプログラムのひとつに彼の演奏会が組まれていたからである。
おかげで本当に何年かぶりかに、LPやCDでは味わえない全身にひびく生演奏の迫力にひたることができた。
 冒頭に流れた「メリーさんの仔山羊」のメロディーにいささかびっくりしたが、それがエジソンの故事にちなんで作曲された「ハロー・トーマス」という曲であることを、途中の難波さんの解説で教えられた。
今岡清さんのメロディーから編曲された「地球の緑の丘」はもちろんわたしもよく知っていた。
そのあとににも聞き覚えがある曲が出てきたので、おやっと思っていると、隣の席にいた巽孝之さんが「“リングワールド”ですよ」と耳打ちしてくれた。
わたしがその原作―ラリィ・ニヴン作のSF長編―の翻訳者だったのでアルバムを頂戴し、何度か聞いていたのである。
 難波さんと初めてお会いしたのは、たしか彼がまだ中学1年だった1966年の暮れ頃だったか・・・わたしの主宰するSF同人誌「宇宙塵」に入会後まもなく拙宅へ遊びに見えたときのことである。
その翌年、彼はサイボーグを扱ったSF短編「青銅色の死」で安倍能成文学賞(当時は小説の賞だった)を受賞し、演奏家となる前に、早熟の作家として名を馳せた。
文筆における彼はSF短編集『飛行船の上のシンセサイザー弾き』(1982年)をはじめ数冊を出版しており、またこれよりさき「宇宙塵」に連載(1972〜3年)した評論「青少年SFファン活動小史」は、当時の日本SF界の歩みを語るうえで欠かせない資料となっている。
 だからわたしはもっぱらSF仲間として彼とおつき合いしているわけで、演奏家としての彼を語る資格はないが、先日のその生演奏や、その翌日のパネルの席で、文字どおり紅顔の美少年だった彼のイメージがちっとも変わっていないことを確認できたのは、この上ない喜びだった。
 これからも同じ若々しさで健闘をと、心から祈っている。(2000年8月20日)

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