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「今年のSF大会も面白くなりそうだぜ!」
野田昌宏
MasahiroNoda
Guest of Honor ゲスト・オブ・オナー
野田昌宏“大元帥”、国内外のSF大会こと始めを大いに語る!!
半世紀も前に息吹いた、SF好きのモノズキたちの集まりとはどんなものだったのか……?
SF、SF大会が面白くて楽しいものなんだと言う事はみんなが知っているんだと思い込んでいて、突如、第1回日本SF大会<MEGCON>から40年以上になることに初めて気がついたりしてしまう。
なんと、あの頃キミは“まだ生まれていなかった”のだ!
私がSFの面白さを知ってから50年である。月に1回、<宇宙塵>の例会が大岡山の柴野邸で開かれていて、星新一、今日泊亜蘭、光瀬龍、矢野徹……を牢名主とする面々の談論風発がとてつもなく面白く、夜の更けるのが勿体なくて勿体なくて、当時、テープレコーダーと言う物が、放送局にしかないのが残念で残念でたまらなかった。
いま初めて気がついたのだが、SF大会の面白さは、要するにあれなんだ……。
あれを夜昼ぶっ通しで2日も3日もやろう……と言うのがSF大会なのだ。面白くない訳がない。
世界初のSF大会<Nycon1>が開かれたのは太平洋戦争直前の1939年、会場はニューヨーク自然史博物館の大ホール(現在ヘイドン・プラネタリウムのホールとして利用されている)だった。
言って見れば、まとめてSFファンを<アメージング>誌の売り上げ増進に繋ごうと企てるヒューゴー・ガーンズバックのセコい了見と、SF雑誌で稼ぐンならファン活動にも上がりを少し寄越せ……と言うSFファン総大将気取りのD・ウォルハイム一派の思惑がせめぎあう珍騒動、それなりに阿呆らしく楽しいし、それから20年余り経った東京の<MEGCON>を最初とする一連の日本SF大会の時に発生した<SFマガジン>のお山の大将・福島正美と<宇宙塵>の柴野拓美の微笑ましき(!)チャンバラも、同類だと言えなくもない。
そのあたりの経緯は柴野拓美(小隅黎)に『塵も積もれば』(出版芸術社)という貴重な文献があるので必読。そして峯島正行『評伝・今日泊亜蘭』(青蛙房)も面白い。
日系は除き、純(!)日本のSFファンでアメリカのSFファンダムと最初に接触したのは……となると、やはり日本SFファンの元祖・矢野徹で、アメリカSFファンダムの大物の一人、フォーレスト・J・アッカーマンの招待で参加した1951年の<Nolacon>である。次が柴野拓美で1968年の<Baycon6>という事になり、この年が日本の<TOKON IV>と重なる。柴野さんが渡米して不在なので不肖・野田昌宏もプロデューサーとして参加した。これが柴野拓美以外のスタッフによって企画された日本初の日本SF大会となる。
今更ながら、柴野拓美という存在の重さを思い知らされる。
日米SFファンダムの交流はその後に続々と続くが、残念ながら、私の手元に正確な資料はない。
しかし、50年前に矢野徹さんが語ってくれた本場のSFファンダムの活気に満ち、輝いていた日々、そこになんとかかんとか追い付こうと努力してきた日々……。その何よりの実りが、何と!この世界SF大会の65回目を今回の<HAMACON2>と同じ横浜で開くべく話を決めてしまったのだぜ! 豪儀な話ではないか!
若いSFファン(もちろん、日本のだ!)の行動力には脱帽するしかない。
こうなれば、成功をひたすらお祈りするだけだ。
さて日本・世界問わず、SF大会を成功させるには、夥(おびただ)しいSFファンたちが皆で手を取り合い、眼を輝かせて力を出し合うしかない。
当節の若い衆なら必ず実らせてくれるに違いない。黎明期を知るファン代表として、ゲスト・オブ・オナーとして、この野田も<HAMACON2>を盛り上げるとするか!
MEGCON
第1回日本SF大会 1962年5月27日 東京都目黒
柴野拓美(小隅黎)
1926年石川県生。1956年にSF同人誌「宇宙塵」を創刊。その後もSF大会やファングループ連合会議の設立に奔走し、日本ファンダムの主導的な役割を演じる。小隅黎のペンネームで創作や翻訳の著作も多い。
星新一
1926年東京生。生涯に1001篇以上を創作した「ショート・ショートの神様」。1998年には 第19回日本SF大賞特別賞を受賞。
今日泊亜蘭
1910年東京生。1958年に『河太郎帰化』(水島多樓名義)で直木賞候補。1962年に「光の塔」(苅得ざる種)を発表、この作品が戦後初の日本SF長編小説といわれている。
光瀬龍
1928年東京生。『百億の昼と千億の夜』や『派遣軍還る』など、壮大なテーマのSF作品を数多く発表。コミックや「NHK少年ドラマシリーズ」の原作者としても知られている。
矢野徹
1923年愛媛県生。作家・翻訳家のみならず、日本国内でのSF普及や日米SFファン交流などの立役者としても有名。1985年にカレル賞、1988年には『ウィザードリィ日記』で第19回星雲賞を受賞。
Nycon1
第1回世界SF大会 1939年 ニューヨーク
開催時はたんに<World Science Fiction Convention>という名称だった。後に<Nycon1>と呼ばれるようになる。
アメージング誌
アメージング・ストーリー。1926年、ガーンズバックによって創刊されたSF雑誌。
ヒューゴー・ガーンズバック
1884年ルクセンブルク生。渡米後に実業家となり、1911年に自らのラジオ雑誌でSF小説『ラルフ124C41+』を連載。1926年には世界初の本格的SF雑誌「アメージング・ストーリー」を創刊する。
D・ウォルハイム
1914年ニューヨーク生。1930年代にSFファンジンを多く出版し、ファンタジィー・アマチュア・プレス協会(FAPA)を設立。その後、SFの編集者・作家として活躍する。
SFマガジン
早川書房刊の老舗SF専門誌。1959年創刊。
福島正実
1929年旧樺太生。1960年に日本初のSF誌「SFマガジン」(早川書房)を創刊し、初代編集長としてSFの日本普及に力を尽くす。
宇宙塵
1957年に創刊された日本最古のSF同人誌(柴野拓美氏主宰)。数多くの作家を輩出し、現在198号(2005年1月現在)まで発行されている。
峯島正行
1952年横浜生。漫画サンデー・週刊小説の編集長を経て、1992年『ナンセンスに賭ける』で大衆文学研究会賞を受賞。2001年「評伝・SFの先駆者 今日泊亜蘭」を発表。
フォレスト・J・アッカーマン
1914年LA生まれ。作家エージェント・アンソロジスト。膨大な数を誇るSFコレクターとしても有名なBNF。通称「フォーリー」、「4e」 もしくは 「4SJ」。
Nolacon
第9回世界SF大会 1951年 カリフォルニア州 LA ニューオーランド
Baycon6
第26回世界SF大会 1968年 カリフォルニア州 オークランド
TOKON IV
第7回日本SF大会 1968年 東京都
© 第44回日本SF大会HAMACON2実行委員会
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