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Last updated May/21/2005

HAMACON2 プログレスレポートWeb版 Vol.2 日本ファンダム事始め〜ネオファンのために〜

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水野コラム 日本ファンダム事始め〜ネオファンのために〜
柴野拓美
Takumi Shibano

1957年、日本で初めてのSF同人誌が産声を上げた。
やがて世界へと届く大きな波を作った、その一石を投じた人物こそ、柴野拓美──

 日本におけるSFファン活動の起源は、1957年5月の同人誌「宇宙塵」創刊に求めるのが順当だろう。当時SF関係の蘊蓄では第一人者だった矢野徹を同人筆頭に迎え、編集は以後現在までほとんどわたしが担当している。当初は月刊で継続。6月の第2号に掲載した星新一「セキストラ」が「宝石」誌に採用され、早くもひとりの作家を世に送った。
 その年末には最初の人工衛星「スプートニク」が宇宙への扉を開き、早川書房のSFシリーズ「ハヤカワ・ファンタジィ」が発足している。そういう時代である。同じころミステリ作家の有志「おめがクラブ」も同人誌「科学小説」を出した。
 翌年1月、「宇宙塵」は月例会をスタートさせ、矢野徹、今日泊亜蘭、星新一に加えて光瀬龍、眉村卓、斎藤守弘、宮崎惇など錚々たる顔ぶれがSF談義に花を咲かせた。
 59年末に「SFマガジン」創刊。60年から「宇宙塵」の例会は規模を拡げて野田昌宏、加納一朗、広瀬正、森優、豊田有恒、平井和正らが加わり、その席には手塚治虫もしばしば顔を出した。同年夏、筒井康隆一家の同人誌「ヌル」創刊。ようやく日本ファンダムの一極集中は解消した。
 第1回日本SF大会が聞かれたのは62年5月、紀田順一郎らによる新グループの発足宣言を兼ねた催しで、約200人が参集し、現在の大会シリーズが開幕した。新グループ「SFM同好会」は機関誌「宇宙気流」を月刊で発行、また東京渋谷の喫茶店で月3回の「一の日会」をスタートさせ、「宇宙塵」とともに長く日本のファン活動の中軸を形成した。
 64年の第3回日本SF大会は大阪で開かれ、その前後から全国各地域を代表するグループがつぎつぎと名乗りをあげはじめて活動の輪は大きくひろがるのだが、それについて語るのは別の機会を俟つとしよう。
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